今の日本人男性に足りないもの

こんにちは、FtM(女→男)のすけです。

まず、明けましておめでとうございます。

こんな中でも、変わらずにこのブログの更新を待ってくださる方々、
本当にありがとうございます。

 

今年は、初めて初詣に1人で行ってきました。

 

地元の八幡神社には実家に帰った時に父と行ったのですが、

集中して神社に気を向けていきたいなと思ったので、別日に大きな八幡神社に行ってきました。

 

いや、でもですね、そんなの実際初めてで。

 

以前の私は、

お恥ずかしいですが、初詣といえばイベントの一つのように思っていまして

デートの1つだったんですよね。「出店であったかいもの食べたいな↑」とか考えていて。

神様には大変失礼な態度でありました。

 

しかし、もちろん宮大工の孫(関係あると思っている笑)。

神社仏閣は本当に大好きで、大学は建築学科だったのですが

日本建築史の授業は目を輝かせておりました。何の話か。

 

そうなんです。ただのデートというか、大好きなところに行くデートだったんですね、昔から。

 

実は大学の時からなんだかずっと関わっていた神社がありました。

それが、今年参拝した『鶴岡八幡宮』です。

 

大学の時には、中にある旧神奈川県立近代美術館の外観が好きで

当時の彼女と足を運びました。勿論、その彼女とは初詣にも行きました。

 

なぜ、あの建物が気になったんだろうか。

 

当時の彼女と別れてから、付き合いの長い女友達と日も落ちた頃に鶴岡八幡宮に訪れました。

その時は、別れた傷も癒えていなくてその友達に勇気付けてもらいました。

 

その後、新しい彼女ができ

初詣に訪れることなく、数年が経った時に

突然ではありますが、2020年

彼女のお守りの紐が切れてしまったことをきっかけに久しぶりに訪れます。

 

今思えばこの時の参拝の仕方は、ひどかったですね。

 

参拝後、家に帰ってからなぜか、ジーンという頭痛が起きます。

何だろうか、水分不足かなとか考えていました。

 

悪いことが起こるのか?それとも好転現象??なんて考えても出ない答えを探っていました。

 

めちゃくちゃスピリチュアルに思うかもしれませんが、

実際、起こったことなので感じたことを話していきますね。

こういうのは、解釈が大事です。

 

そして、物事はここから歯車が本格的に動き始めます。ガチャン、ガラガラ・・

 

ここで、私のブログを読んでいる方は知っていると思いますが、

この半年後、彼女とはお別れをしています。

今思うと神様は全て知っていたんだろうなと思ってしまうんです。

別れるかどうかとかではなく、彼女がそして私がただの依存状態であることを。

今思うと、試されてたやんけって。

 

では、続きを、、

 

その数日後、彼女がコロナにかかります。

 

ここで私が思ったことは、

自分がかかっていたら職場がどうなるかという不安でした。

少し時間を置いて我にかえりましたが、時すでに遅しです。

 

女の人は、咄嗟の男の反応や言動・行動をよく見ています。

 

彼女は病院に隔離状態になります。

今思い出しても、彼女のことを思いやれていた自信がありません。

 

勝手に彼女は大丈夫だと思い、

自分は家に一人で、むしろ集中できる環境を満喫していたように思います。

 

多分、彼女も同じように私がいない生活が

思ったより辛くなかったんではないかな。(これはわかりません。)

 

そして、退院日のお迎えのとき、

あろうことか病院の場所を間違えます。

 

何にも意識せずに検査した所(ちょい遠い)に行ってしまったんですね。

もしかして、場所違くない?と。慌てて向かいました。

 

こうゆう自分でも信じられない間違いをよくしてしまうのが私なのですが

これは間違えてはいけないものです。

 

やっと会える気持ちは?台無しです。

 

隔離入院中にいかに気をかけていなかったか。

 

今考えても、ここで答えが出ていたなと思うのです。

 

だからといって、彼女を心配すればいいという問題ではありません。

「大丈夫かな?元気かな?」、、

なんていうのは、自分の仕事に向かえていませんから。

 

そういうことではなくて、彼女を愛していたかということなんですよね。

 

愛していたと思っていたものは、

実はほとんどが自己愛で、自分のために、そして自分のフィルターでしか見れない。

そんな状態だったと思います。

 

結局、自分が一番かわいいんですね。

 

私は、彼女を本当に愛せるか、深い意味で愛せるのか。を試されました。

そこには、明らかに私が持っていなかったものがありました。

 

それが『父性』です。

 

引っ張る力、愛といっても母性と違う父なる愛。

 

それって、

咄嗟に出るものでもないんですよね。

 

日頃、どんな風に過ごしているのか、

日常の行いが咄嗟の行動や言動に出るわけです。

 

自分のために、自分の勉強のために、自分のスキルアップのために

 

そんなんではなくて、目の前の人のために。

関わってくれているご縁のある人のために。

 

考えることは2つ。

皆がやりたくないことをするか

誰かを幸せにすること。

 

それは恋愛だろうが、仕事だろうが一緒なわけです。

 

長年、私を見てきた八幡様が

「お前まだやってんのか」とお叱りを頂いたようにも思いますね。笑

(そういえば小さな頃から「八幡様」と呼んでいたな)

 

もっともっと成長したい。

それは、もう自分の欲のためではなくて、真に誰かのために生きていきたい。

 

私が今回参拝した鶴岡八幡宮は、

鎌倉幕府のとき、源氏が戦の前に勝利の祈願として参拝した神社でもあります。

 

大勝負に勝つ年、

そして煩悩に負けない年にしたい。

 

 

こんな風に、当時わからなかったことが初詣を通して感じることができました。

それを気づかせてくれた彼女は、完全に俺にとって女神だったわけです。

ありがとうございます。

 

物事は、すぐに解釈できるとは限りません。

すぐに無理に解釈しようとするのはちょっと危険です。

 

よくわからないけど、進んでいったら繋がるって思っていたらいいのです。

 

そうですね、

だから、また俺にできることはたくさんあるだろと炎をもらったわけです。

 

参拝というのは、その空気感を感じること。

何か離れそうになったときに、その空気感を思い出せるようにすること。

 

ありがとうございました。

 

ちなみに、、

小学校の時のあだ名はオリオン座にある源氏星の「リゲル」でした。

鶴岡八幡宮、、運命感じてしまいますよね。