目の前のことに一生懸命すぎて見えなくなってしまうこと

こんにちは、のすけです。

お久しぶりです。みなさんGWはどうでしたか?

私は、恒例の実家でのBBQをしました。
ちょっと飲み過ぎてしまいました、、反省。

普段、話していない人と会話をするって大事ですね。
偏った価値観に囚われないぞ!といくら思って過ごしても
実際、私は「学校」という価値観に囚われたりしています。

何より人と話すこと、信頼する人、話を聞きたい・したいと思う人と会うことはずっとずっと続けたいものです。


正直、私は今の「学校」があまり好きではありません。
あくまでも、”今の”と書いておきます。

画一的で、息苦しく、慌ただしい。
まだ、そんなイメージ。

でも、少しずつ少しずつ変わっていこうと自分も周りも思っている人はいる。
こういう学年にしていくぞ!
確かに学年の先生とそう思っていくのは楽しい反面、
「こういう生徒になって卒業させる」と自分たちの力で卒業させると思っていることが少し違和感で。

元々、私は学校の先生が好きじゃないんだろうなーって。
目の前の先生たちがではなく、私の過去の先入観もあります。

学校はトランスジェンダーである私を否定してくる存在だったし、
多くを考えない先生の発言には腹が立った。
自分だけじゃなくて、少数派と言われる人たちのことを考えない発言があって
「お前らみたいな奴がいるから、、」と手をずっとぐっと握っている状態でした。

けど、私を肯定してくれた存在もまた学校で
学校というか人。一部の先生と友だちだったから
あまり好きじゃない「学校」に今もいるんだろうなとも思う。

何でこんなこと考えたかって言うと
明らかに辛そうな私に兄が「なんでそこまでして学校にいるの?」って聞いてくれたからなんですけど、その時答えた答えにしっくり来ず。

でも、ここで気づいたのは
無理が過ぎている自分に「気づく」こと!

別に大丈夫だし、周りの先生も同じような生活(休みがない)をしているし、苦しいわけじゃない。

でも、明らかに余裕はない状態で、気づいたらもう5月になっていた、、。

休みがほしいとか好きなことしたいとか結果はそういうことではなくて、

「あれ?またこのまま1年が経つ。自分は成長できているか?自分の人生を生きているか?」

ここがYESでないことが問題なんです。

自分の人生を生きたい!って一番の志を無視する生き方をしたら、そりゃ辛くなる。

こうやって生きようとか、習慣にしていこうとか、この勉強を活かそうとか、
これがブレたり、なくなったりしたら
たとえ、目の前のことに一生懸命でも、生きたい人生じゃない。

そのことに気づけたことがすごく大きいです。

でも、これすぐ気づいたのは、数年前からこのブログを始めて
いろんな人と対話した自分がいるからだなって思っています。

伝えたいことがあるからまだ書き続けていて、
まだまだ成し遂げたいことがあるから登り続けます!

ずっとみてくださっている皆さん本当にありがとうございます!!!