LGBT/こうと思って進んだ結果

こんにちは、のすけです。

LGBTと書いておきながら、何もお前のことわかんねぇじゃねーかと言われるのがこわいので

簡単に、私がどうやって生きてきたかまとめます。笑

典型的ですよ?笑

あ、あと覚えてないこともたくさんあるのでご了承下さい。

 

その前に、私はLGBTの中でもT。

トランスジェンダーでFTM(女→男)です。

 

今ではたくさんの人が表に出てきているし、YouTuberもいますね!

賛否両論あるみたいですが、有名人とはそういうものですよね。

どちらでもいいです!笑

 

周りにもいる!という方はたくさんいらっしゃるんではないでしょうか。

 

目次

幼少期

生まれた時は、目が一重だったんです。

昔の写真を見ると、一重なんです。でも、ある日突然二重になったらしいんです。

そんなことってあるんですね!?

今、超絶ぱっちり二重です。ありがとう母。(一重ももちろん魅力的ですよ)

どうでもいいことから始めてすみません。ちゃんと話します。

 

小さい時からボーイッシュでした。

何かを作って遊ぶことは好きで、剣とか祖父と作ってました。

(祖父が大工で本格的なやつ。今思うとただの凶器。)

でも、なんとかレンジャーとかが好きとかでもなく、セーラームーンが好きだし、ぬいぐるみも好きでした。

 

幼稚園では好きな女の子がいました。当時は好きであるとは気づいていません。

七五三まで髪の毛を伸ばしていました。

七五三当日は顔が死んでました。

やっと終わってそれからずっとショートです。

田舎に後ろの襟足だけ長い子って必ず私の年代だといたと思うんですけどそれです。クラスに1人はいたんではないですか?笑 田舎あるある。

小学校低学年

ランドセルなんで赤なんですか問題は私にもありましたが、受け入れていました。

基本的には男の子と外で遊んだりゲームやカードゲームしていました。

女の子が気になりますが、3年生くらいで周りに合わせて適当に好きな子は男の子の名前を挙げていました。

小学校高学年

4年生くらいで男の子からハブられますが、屈強な精神で先生にハブられたことをチクります。笑

その頃から間違えてないと思ったら行動してしまう性格でした。

そんな私も身体の変化があるにつれ、性格が内気になっていったように思います。

女の子と遊ぶようになり、弄られまくりでした。

というか元々女の子にはめっぽう弱かっただけだと思います。

 

身体の変化が著しい5、6年生は苦痛でしたね。というか混乱しているの方が正しいかと思います。

そんな時にテレビで金八先生第6シリーズを見ます。

上戸彩がやっていたやつです。

「も、も、もしかしてこれなんじゃないか。?」と思い始めます。

中学校

最悪のスカート登校です。

流石にこれは、無理でした。

 

顔がますます死んでいきます。女の子を演じまくって疲れていきます。

死んでしまおうかと思うこともなくはなかったです。

 

そんな時に、女の子と付き合うことができます。

ここで私は気付くんですね。俺は男として女が好きなんだなと。

 

仲のいい大人びた女友達Oが俺の正体を見破ります。

好きな子にフラれたことをきっかけにしてだったかな?

(最終的には男でないとという理由でフラれます。先まで考えすぎ。大人か。笑)

自分の正体が何なのか。めっちゃ調べまくりました。

 

当時PCは家族用で一台。親が帰ってくる前に調べまくる。検索履歴を消す(入念w)。を毎日繰り返してました。

そして確信しました。

 

俺は性同一性障害だと!(今は性別違和っていうらしい)

 

なんか正体がわかって何をすればいいかも明確になってきました。

俺は生きていいんだぞ!間違ってない!

と思えるようになりました。

 

その友達Oが受け入れてくれたのもあり、ここからトントン拍子で進みます。

中2の担任にカミングアウト→すぐに制服を担任と買いに行く→親にカミングアウト(苦戦した)→修学旅行でズボン登校

 

先生と相談して修学旅行だったら皆お前のことを気にする余裕なんてないから丁度いいと。

当日は、先生から詳しいことは言わずに俺がズボン登校になったことは説明されましたが、皆批判もせず。

寧ろ賛成の声多数でした。

 

「お前のスカート違和感すぎた」と言われましたが、好きで履いてないわ。笑

 

高校

中学校の先生より連絡をしていたので、学校はズボン登校でした。

所属した女子バスケットボール部にだけ全員にカミングアウトします。

理由は、高校生活において家族よりも多くの時間を共にする仲間には言っておいた方がやりやすいと思ったからです。

同級生は勿論、先輩や後輩も最初は気を遣っていることはあっても受け入れてくれました。

部活以外の仲の良い友達にはカミングアウトしました。

 

本当に恵まれた環境で過ごしていました。

大学

大学に進学、ここでは学科の教授、事務に相談し、

全く治療していないがこれから治療していくので男として通わせてほしいとお願いをしに行きました。

皆さんにとっては、そんなのワガママだと思う方もいるかと思いますが、

当時の私は、女で通うなんて絶対あり得ませんでした。

途中に変更するなんておかしいことになるだろって思ったんです。

 

正直絶対受け入れてくれるだろうと思ってました。

というか、受け入れてくれるまでお願いするつもりでした。

 

が、すんなりOKが出ました。

事務の方はなにかとその後も気をかけてくれました。

どんだけ皆優しいんだと思いました。

 

ふと思い出したんですけど、中学校の時に好きだったポエムがありました。笑

私は傷を持っている

でも、その傷のところから

あなたの優しさがしみてくる

私に関わって優しくしてくれた皆さん本当にありがとうございました。

就活に間に合うように戸籍変更まで済ませました。

因みに手術はタイで行いました。

就職

就職活動において、自分のことが問題になったことはありません。

私の強みとしてカミングアウトしたこともありましたが、個人的にはオススメしません。

 

そのフィルターが私をよく知らない相手にとっては、プラスになる可能性が低いように思うからです。

これはまたの機会に記事にできればと思います。

 

私は転職していますが、何も言わずに入社することも全然できます。

私の場合、カミングアウトに抵抗があるわけでもないので、言った方がいい時は言うというスタンスです。

幸せなことに、ホルモンの影響で少しハゲはじめてますし、筋肉も多少あるので、元女子とバレることは滅多にありません。

 

現在

あの頃憧れたたくさんのことが普通にできるようになっています。

悩んだ時は私がこんな風に普通に過ごせているなんて考えてなかったと思います。

ただひたすらに今を打破していたら、こうなっていたという感じです。

私のこの性格にはよくないこともあるのですが、このことに関しては良かったのかなと感じます。