こんにちは。のすけです。
私は、以前会社に勤めていたのですが、
「ここにいるのは俺じゃなくてもいいな」
と思ったのと、
自分の心が動く仕事をしようと思ったことで会社辞めました。
先輩社員を見ても自分と重ねる想像ができませんでした。
とても良い会社でストレスフリーだったんですけど、それとこれとはまた違う話でした。
そんな私は今回
堀江貴文さんの「すべての教育は洗脳である」
を読みましたので、感想やらをかかせていただきます。
私の周りでは
「会社辞めたーい。」
「休憩時間少ないし、残業代でないし、、、」
「今日は定時に帰りたいわぁ、、」
「華金だーーー!」
等、何度この言葉たち聞いたことかってくらい皆言ってます。
皆思うことはだいたい一緒なんですけど、なんで辞めないんだろう。
私が辞めたときには、ここが嫌だから辞めるのではなく、行動したいから辞めました。
それは、本当に悩みました。
嫌だからじゃないならなんだろうと。本当に一時的なものではないのかと。
あ、でも、この本を読んだらそんな風に悩む時間があったら知識を習得しようとすればよかったと思います。
そんなにじっくり悩んだところで、、。時間は有限だということ、私も学ばなければ。
好きなことを仕事にしたいと思っている人はたくさんいるのに
そうしている人が少ないのは、
やはり「学校」の「洗脳」を解くことができていないからです。
”好きなことを仕事にできている人はごく一部だ”
というのはただの洗脳であり、事実ではないです。
どのくらいの人が好きなことを仕事にできると信じて挑戦したんだろうと思います。
正しくは
”好きなことを仕事にしようとする人はまだごく少数だ”
つまり、スタート地点にも立っていない人がたくさんいるのにも関わらず、できっこないと決めつけているだけということです。
因みに、私はこの「だけ」って考え大事だと思ってます。
複雑だと思ったことは、大抵、単純明快です。
余計なものは削ぎ落として、シンプルに考える。
Simple is best.
て客観的に物事を見てみろよってことだと思ってます。
というのは置いておいて。
あれはダメだ。これはダメだ。
と禁止だらけの環境を過ごした私たちは
敷かれたレールに沿って走るだけで、
何か好きなことに挑戦する気持ちがなくなります。
というか、好きなことが何かもわかりません。
私が中学校の時は
洗脳された自分7割、まだされていない自分3割いたように思います。
洗脳された自分は所謂「いい子」。
この本を読む前タイトルだけ見て
すべての教育は洗脳されることによって成り立つっていう本だと思いました、、
洗脳されていることに気付いているのは救いですが、それを良しとしているところがヤバいです。
しかも、ずっと幸せは苦の先にあると思い続け、ひたすら「我慢」する子でした。
一方、洗脳されていない自分は、自分の存在を否定してくる学校が嫌いで
存在自体を肯定できるように自ら動いた自分でした。
間違っていない自信がありました。
その時、ひたすら家の一台のパソコンで情報収集した記憶があります。
これもいま考えると知識が自信になったんだなと思います。
今でもこの洗脳されていない自分がいるから、今の行動があるんだと思います。
今日はとりあえずここまで。
ありがとうございました。