オンライン授業?学習課題?大切なのは、枝葉じゃなくて幹でしょ。

こんにちは、のすけです。

私のビジネスの先生の主催するオンラインセミナーにて
ゲストにお招きいただき、「教育と循環」というテーマでみんなで語りました。

参加されている皆さんはとてもエネルギッシュで
話しているこっちが刺激になりました。

そういう時間は改めて色々と考える時間になるんですよね。

 

これからの時代はコミュニティーや一体感なるものが大切になってきます。

個人でノウハウ云々で稼げていた人たちは
本質や原理原則を学んでいなかった場合、力を失っていきます。

助け合い、与え合い、学び合い、
それが大きな力になっていくと思っています。

 

本来これは昔からそうだったものではあると思います。

そうなんです。日本人はこれが得意なはずなんです。

東日本大震災の時も
日本人の底力は驚くものでした。

東北の方の底力。

新宿の駅で通路を空けながらもじっと電車が動くの待つ人たち。
(私は当時就活のために新宿にいました)

これから大事になってくる
助け合い、与え合い、学び合うことをずっと目指していたコミュニティーがあります。

 

それが「学校」です。

 

今回は今の教育について
学校現場にいる私が思うことをお話したいと思います。

 

よく有名な起業家の方も学校教育について否定的だったりしますよね。

ホリエモンが「学校はオワコン」と言っていたり、、

私も今の学校のままではオワコンになると思います。

 

挑戦することに悲観的だったり、

無理と決めつけることは、教員の世界では今でもたくさんあります。

不登校についてもマイナスなイメージを持っている教員が多く、

学校に来るように促すことが善であるとされています。

 

ここで私は、善悪二元論みたいなことがよくないと思っています。

これが善でこれが悪。
その考え方自体が終わってるんですよ。

私は、学校が悪だとも思っていません。

私は一度教員になってから

「ここでは凝り固まった常識が横行している。

こんなところにいては自分の伝えたいことも伝えられない。」

と思って、自分に力をつけるためにビジネスの道に進みました。

 

しかし、今でも、学校教育には携わっています。

なぜ、そんなに学校にこだわるのかというと

学校でこそできることって絶対あると思っているからです。

 

いじめにあったことがある人や
学校によって傷つけられた人もいると思います。

私もその一人です。

中学の時、自分の性についてすごく悩みました。

当時は学校は敵でしかないと思っていました。

学校は自分を否定するものでしかなかったんですよね。

男女を意識するようなことが多過ぎるんですよ。

「お前は女なんだから、女でいなくてはいけないんだ」

といつでも攻撃されている感じでした。

それでも、こうやって今私が戸籍を変更し、
堂々と男として過ごせているのには

学校にいる友達や学校にいる先生
また学校の部活、教室、あったかい場に助けられたからなんです。

中学校だけではありません。

高校でも、大学でも
私はずっと周りに助けられて生きてきました。

傷ついた場所も学校だっだんですけど、
助けられた場所も学校だったんですよね。

私がどう生きてきたかは記事にしていますので
是非読んでみてください。

 

日本の教育は、全国どこの学校でも一定の水準が保てるように

文部科学省が定めている教育課程の基準があります。

それが「学習指導要領」です。

 

学習指導要領は、全国の教員の教育の目標になるわけです。

そこには、

 

生きる力を育む」ことや

主体的・対話的で深い学び」などが掲げられています。

 

この言葉ってめちゃくちゃよくないですか?

生きる力、、、必要ですよね。

学校が目標としていることってこんなに素晴らしいの知ってましたか?

でも、何でこんなにも伝わってないのかって

現場単位でやっていることは表面的すぎて

伝わるものも伝わっていないんです。

 

私が関わった先生方は、

自分の利益よりも何より

子どもたちのためにと働いている方はたくさんいます。

でも、それなのに何でこんなにも学校は批判され否定され攻撃されるのか。

答えは簡単じゃないかなと思います。

方向性、やり方を間違えているから。

方向性って大事です。

北海道に向かいたいのに、
方向間違えたら
沖縄に行ってしまいます。

全然違うところに向かって走り続けることになるんです。

 

細かく言えば、たくさんあるのですが

「主体的・対話的で深い学び」を実行するために

1つの単元の授業を工夫したところで何か変わったんですかね。

授業中の発言が多くなった。
友達との学び合いが多く取られていた。
子どもたちが夢中になっていた。

いいことだと思います。

でも、次の時間になれば消えるようであれば
それはただの「ノウハウ」じゃないですか。

 

ビジネスと同じです。

ノウハウコレクターになったって稼ぎ続けられるわけがないんです。

本質的な原理原則を学び、自分で思考できるようにならないといけないんです。

 

因みに多くの教員は研究授業の時にのみ
「主体的・対話的で深い学び」に注目し工夫します。

最初は私もその一人でしたから。

そんなの意味がない。

意味がないって思いながら研究授業やっている教員も多いですよ。

それが現状です。

 

先生方もわからないんだと思います。

どの新幹線や飛行機に乗ればいいのかわからないから
自己流で地図も持たずにチャリに乗って行っている感じ。

学ぶことはするので、
時々、町の人に北海道の行き方を尋ねるけれど、

これが俺のやり方!個性!と言って
時間だけが過ぎていき、汗かき、疲労し、疲弊する。

これこそ達成感なんだー!っと言って、
自分を信じ続ける。

 

教員の教育システムはあってないようなものですし

教員の教育をしている方たちも本質がわかっていないでしょうから。

誰も行き方は教えてくれないです。

わかっていたらこんなことにはなっていないですよね。

 

今、コロナの影響で学校が休校になり

「子どもの学習はどうするんだ!!」

という声も

「生きる力」ことや「主体的・対話的で深い学び」を教えることが出来ていたら

こんな声は上がってこないですし、

主体的に勉強したり、好きな学びをする時間にしているんではないでしょうか。

そもそも学習、数学の勉強とか漢字の勉強とか英語の勉強も

ノウハウ的なものは今の時代どこでも学習できてしまうんです。

参考書を買うお金がなくったって

今はYouTubeで学校の先生なんかよりわかりやすく解説してくれる動画がたくさんあります。

無料で学習できちゃうんです。

「学校でしか学習ができない」と思っている人が多すぎて怖くなりますよ。

そこにみんなが気づいた時に
学校の意味っていうのが試されていると思います。

学校の場で、できること、
学校の場でしかできないことってあるんですよ。

二次方程式の計算方法を学ぶよりも
「生きる力」を育むことが大切なんですよね?

大切なのはなんですか?
学校がやるのはどこですか?

それじゃ塾と同じではないですか?

だったら学校は意味がないですよ。

一生懸命にオンライン授業や宿題の作成をする時間よりも

子どもの心を教育するべきですし、

もっと言えば、学校でシステムを導入するべきです。

やった方がいいことがたくさんある学校ですが、

だからこそ、やらなければいけないことに集中するべきだと思います。

学校ならではの、

体育祭や文化祭、遠足、部活動が物質的になくなった時

学校の意味をもう一度考えるべきだと思います。

しかし、本質はそれがあろうとなかろうと目標は同じこと。

私は、いつもビジネスと同じだなって思っていて

他も言えますが、ビジネスの勉強って誰でもやるべきだと思っています。

ただそれは、ここでも言っている通りノウハウのような枝葉の部分ではなくて、

幹の部分を育てるようなビジネスの本質部分の学びです。

枝葉じゃなくて、幹を育てるべきです。

枝葉をいくら育てようが、幹がスッカスカでは育つものも育ちません。

幹をしっかり育てていれば、自ずと枝葉は育ちます。

この考え方ですよね。

足りないなぁと思います。

目の前のことだけやり続けても、いかんわけです。

人が成長するときは必ずいつもとは違う行動を取ったときです。

書きなぐった感じになりますが、私もしっかりともっと学んでいきます。

 

ありがとうございました。