こんにちは、のすけです。
学校の宿題って皆さんはなんのためにやっていましたか?
「やべぇ、成績が落ちてしまう」
と思ってやっていましたか?
私なんかは、くそがつくほど真面目だったので
宿題が出れば期日までにやるのが当たり前でしょ。という
成績云々とか考えていない人でした。
いいように思うかもしれませんが、
完全に思考が停止しています。笑
やれと言われたことをやるのみ。
じゃぁその宿題が自分のためになっていたかというと
そんなわけないんですよね。
考えてやっていないので。
私は、中学校の教員をやっていたのですが、
学校の先生は、宿題においてはどうしても
評価のためのものだと思ってしまいます。
それはもう潜在意識的に思っています。
宿題の目的が点数としか見ていないことが大いにあります。
例えば、数学のワークについて宿題を出したときに
よく言うのが
「自分で解いたことがわかるように途中式を書きましょう。」
という話ですね。
先生が見たときに、ちゃんとやっているかとわかるようにしてくださいってことです。
では、宿題がなんのためにあるかっていうと
アウトプットのため
ですよね。
少なくとも1回間違えたりしたところは、
何度も何度もアウトプットするために
色ペンで分かり易しましょうと言っているのに、
いつの間にか、
先生が評価するときにわかりやすいように
色ペンを使うようになります。
(ここで色ペンに意味があるのかは置いておきます)
そう言えば、
私も中高と宿題提出のときに
やった感じに見せるために、わざと間違えて青ペンで直したりしてました。
そっちの方がやっている感や工夫している感が出るからです。
でも、そんなことに意味ってありますか?
ないですよね。
お恥ずかしいですが、私は学校教育の賜物だったんで、
何が目的で宿題をしているのか考えなかったんです。
これだよなぁ、これが目的を考えずに行動する大人を増やしちゃうんだよな。。
そんな風に思いました。
皆さんの周りや上司にもいるんではないでしょうか。
「こう決まってるんだから、やるんだよ!」
というような言葉ですね。
それいらなくないか?
とか
これあった方が良くないか?
みたいな発想が生まれにくい状態です。
教員という立場にいながら、
「そうだよな、学校が目的を見失って教えちゃうんだから
どんどんそういう大人を量産していってしまうよな。。」
と不甲斐なく思いました。
結局、勉強ってなんのためにしているかというと自分のためであるべきなのに、
だるい、嫌い、めんどくさい。
というように目的がどっか行ってしまうんです。
評価の基準も説明しなければいけないのですが、
それよりも、勉強の仕方の面で
どう学習をすれば身についていくのかを教育した方がいいのではと思います。
結局中身のない、評価の話をしたところで、子どもは成長しないでしょうし。
例えば、
書いて覚えろ、とよく言いますが、
書いていっているうちに、書いたことに達成感が出てしまいます。
よく英単語とか何回も書くことはできるけど、
もはや最後の方には暗号みたいになっているという。。笑
そこで、何より最強なのが、想起学習です。
思い出して学習するやり方。
そこには、学校教育の目標である「対話的で深い学び」に通じます。
対話をするときというのは、自分の頭の中の情報を抜き出しながら組み立てて話しますよね。
これが一番最強です。
思い出せたものは、書けますし、
いつでも、どこでも頭さえあればできる
コスパが良すぎる学習方です。
実は数学とかもできてしまいます。
あの問題はどういう問題だったっけ?
と問題から考えたりすると、、、思い出せないことに不快になり、
さっき解いた問題を見返したくなります。
あー!そうだったそうだった!
インプット→アウトプット→インプット→アウトプット
この繰り返しです。
目的ベースでやることを考えれば、
「書かなければいけない」という価値観も変化できるわけですよね。
目的がなんなのかは、自分が誰かに伝えていく上でも大事だなと思います。