こんにちは、のすけです。
私は中学校の教員をやっていたことがありました。
その中で、わかったことがたくさんあります。
今日はその1つについてかきたいと思います。
以下の内容は一概には言えませんが、私が経験した中でその傾向にあるといったように考えて頂ければと思います。
中学校では小学校と違って、勉強がどんどん進んでいきますよね。
つまづいている子にとっては、努力しているつもり。
でも結論から言うと、
「〇〇先生の授業がわからないー」
などと言っても結局、自分でアウトプットを繰り返したやつが勝つんです。
だって
私は数学を担当していましたが、
結局どの先生が教えてもクラスの成績は同じくらいだったからです。
塾行っている子ができて、小学校でつまづいている子はそのままなんです。
え?それって断言するのは酷くないか?と言われるかもしれません。
すべてがそうとは言えないですが、だいたいそんなもんです。それが現実です。
私は、サポートとして教室をうろちょろするサブの先生で授業に入ることもありました。
あるA先生は割と人気な先生でした。
それに対してB先生は教え方も黒板に話しているかのような先生で、誰が見ても分かりにくい先生でした。
日々、A先生の方がわかりやすいと思っていました。
勿論B先生は評判が悪い。
ですが、それぞれのクラスのテスト平均点や成績は同じくらいでした。
いや寧ろ、その時はB先生のクラスの成績の方がいいくらいです。
どの先生が教えても変わらない理由は幾つか考えられます。
- 学校の授業は塾行っている子からしたら、アウトプット。つまづいている子は、インプット。
- 「理解した」と「いつでも解ける」の違いを知らないためにあと一歩で諦める
- 教員はテスト範囲を終わらせることも考えなくてはならないため、ある程度以下の子は切り捨てられてしまう
- カリスマ教員は少ない
詳しくかいていきます。
結局アウトプットの差
今の子どもたちはたくさんの情報の中に生きているので、
もうインプットとアウトプットが大切などというのはわかっています。あーよく言うやつねって感じです。
それでも、それが出来ているかどうかは別の話です。
塾に通っている子たちは、既に授業の内容を習っていることがあります。
そうすると、その子たちにとって学校の授業は既にアウトプットの領域なんです。
それに対して、塾に通っていない子にとっては授業の内容は初めまして。ということになりインプットの段階なんです。
もうここで差がついているんですね。
それから、塾通いの子がわからない子に説明したりなんかするとよりアウトプットを重ねることになる。
しかも、塾では何度も添削してるところもあったり、宿題も出して厳しめにやっているところだってあります。
アウトプット強制的に繰り返してるんですね。
強制的にやるのに対して
塾に通っていない子は自分の意思で勉強をしなければいけないですが、塾の先生に怒られるわけでもないのでやる気にはなりません。
やる!となっても数日続くくらいではないでしょうか。
こうやって、塾通いの子とそうでない子はアウトプットの差がどんどんついていきます。
テスト前に焦って頑張っても、塾の子だってテスト前はもっと勉強させられますから。
「理解した」と「いつでも解ける」の違いを知らない
そう言いながらも、どの先生でも成績が同じなだけで、子どもたちの気持ちは違いますよね。
この先生は好きだからこの先生の教科は頑張ろうとしている子もいるし、先程のA先生のおかげでこの問題が理解できた!って子もたくさんいると思います。
では、なぜ差が埋まらないのか。
それは、「理解した」だけで、「いつでも解ける」ようになってないからです。
学校の授業では解き方は「理解した」けれど、その後すぐ忘れてしまいます。
理由はさっきと被りますが、「いつでも解ける」というくらいにアウトプットしていないからです。
人は、何故か自分の力を過信します。
理解したらもう解けるという気になってしまって、次の授業やテストのときにはもう忘れているということが多いです。
ここはわかったからおっけい。で忘れてることなんて皆経験しているんではないでしょうか。
もしくは、そのことを問うてる問題なのに気づかず、
テスト直しのときに「これやったところじゃん!」とわかっていたような口を叩く。なんてことありませんでしたか?
それもこれもアウトプット不足なんです。
1回解けたらもうできる。そんなことはないと思った方がいいんです。
また、実際の数学のテストでは、マルかバツしかありません。
その問題においての0〜99%の理解度はバツなわけです。100%の理解度にのみマルをくれるわけです。
だから、その子が10%の理解度なのか50%なのか80%なのかの違いは成績ではわからないんです。
だから、例えば頑張って勉強しても80%理解しているのに成績に反映されないからと言って、あとちょっとのところで諦めてしまうんです。
だから私はいつもテスト返しのときに、
「ちゃんと頑張って勉強した子は、落ち込むことはあるけど、失望するんじゃない。このテストでは、マルバツでしか判断できない。この勉強で、0から90%の理解までやってきたかもしれない。だとしたら、あと一歩繰り返しが足りなかったんだ。」
と伝えていました。
教員側の理由、出来ていない子を切り捨てなければ終わらない
敢えて切り捨てるという言葉を使いますが、それが現実です。
教員はテスト範囲を終わらせなければいけません。
そんな理由どうでもいいですか?
でも、それが教員の仕事になってます。
終わらなかったら大変という雰囲気です。
なので、授業中に全員が理解するまで解説することはできません。
それはお前たちの力量次第だろと思う方もいらっしゃるとは思いますが、ハッキリ言います。そんなの無理です。
一人ひとりに時間をかけることもできず、授業中には「あとでね」などと言って途中で切らなければならない。
その「あとで」は、部活の顧問をしっかりやるのならば、ないようなもの。
それをカバーするシステム(放課後の寺子屋など)もありますが、わからない子にとってそこまでするモチベーションもない。
結局、つまづいた子はそのままです。
そうやって、学力の差は縮まりません。
カリスマ教師は少ない
皆さん期待していないとは思いますが、
公立の教員に東進ハイスクールの林先生とはいかずとも、カリスマ的な教員に出会えるのは稀です。
というか出会えるのでしょうか。
これ、言っておきながら私が出来損ないの教員だったことを公表しているようなものですが。
なので、教え方が違ったり人気に差があっても
学力に大きな差が出るくらいのカリスマ教師なんていないに等しいんです。
だからどの先生が教えても成績の差が出ないと言うことなのですが、
じゃぁ教科の先生としての教員てなんのためにいるんだ?と私は思いました。
確かに授業中に雑談や数学とは違うゲームをしたりして楽しませる教員だって、生徒の心には残ります。
が、専門教科の先生としての教員の役割ってただ範囲を終わらせることになってるんじゃねぇか。。と思いました。
教員は子どものモチベーションを上げることを優先すべき
私がもしもう一度教員に戻るとしたら、
子どものモチベーションを上げることを優先に考え、言葉で話します。
今の学校は、モチベややる気を出させるために、その日の授業内容でやる気を引き出そうとします。でも、これってどう考えても単発すぎて意味ないんですね。
だったら、意味のない雑談もいいですが、モチベを維持できるようなマインドの話を優先してします。(範囲終わる程度に笑)
結局やるには生徒なので、今の時間にやる気を起こさせると言うよりは、勉強をすることに対してのやる気を起こしてもらいます。
モチベの維持は難しいです。だからこそ、毎日会っている先生がそのマインドを維持させてくれたら変わるだろうなと思います。
私が生徒だったらそうして欲しいです。
子どもたちは授業外でアウトプットすべき
最終的には子ども自身がやるかやらないかにかかっています。
先生のせいにしないで、自分でアウトプットの量を増やしたやつが勝ちますよ。
先生のせいだったにしても、それに文句を言ったって自分の成績は良くならないし、自分も成長なんかしません。
「いつでも解ける」くらいまでやる。でもそれってテスト前だけだとかなり大変ですよ?
今日やった授業の内容、どういう問題でどうやって解いたのか、完璧じゃなくてもいいから覚えていることだけ親に話してみる。→覚えてない部分気になる→調べる→覚える
こんなサイクルでこまめにアウトプットしましょう。