こんにちは、のすけです。
突然ですが、私は生まれたときの戸籍は女でした。
しかし、21歳のときに戸籍を男に変更しました。
皆さんが知っている言葉としては性同一性障害と言えば何となくわかるでしょうか。
そのことばかりを書くようなブログではないのですが、私の中の大事な要素であります。
今はあまり深刻に悩むことはありませんが、
戸籍変更した就活後、あれだけ普通の生活を求めていた自分は
この味気ない生活にたどり着いたとき、疑問を持ちました。
ここで私が発信したのは、性同一性障害にしかり、大人、学生さんたちも
世の中の正解とされる生き方をしなければいけないと思っている方たちの肩の荷が少しでも下り
あわよくば、人生の転機にしてもらいたいとそんな思いで書いています。
最初は、こういうやつもいるんだなと思う程度にご鑑賞いただければ幸いです。笑
と言うことで、私の自己紹介に戻りますが、きっかけや出会いもあり
私は、サラリーマンを辞めて、教員免許を取得し学校の教員や
ネットでコンサル業をしたりしていた者です。(現在は教員)
まさか学校の教員がビジネスを学ぶなんて誰も思わないですよね。
私も予想外です。
でも、ここで学んだものは子どもだって大人だって必要なものでしたし、
ビジネスだけでなく日常にも生かされるものでした。
私が学んだ(学んでいる)のは、もっと大きなところから見た勉強で
たまたま”ビジネス”というフィルターを通して学んだというだけなんです。
ここらへんのニュアンスは一言では難しいのでもっと発信を見ていただけたらと思います。
少し前まで、お客さんに情報発信の方法を教えたり、
LGBTのこと、日常のことを通してビジネスのスキルを
ブログ、Twitter、YouTube、メルマガを通して配信していました。
と言っても、私は元々ビジネスに興味があったわけではありません。
意識高い系だったわけでもありません。
そもそも興味すらない人間でした。
「普通は〜」とか「常識的に〜」が口癖のようでしたし、
平和な普通の人生とやらを目標に歩んでいました。
ポジティブぶって、超ネガティブですし、
超空気を読みまくって自分を消してました。
あん時は良かったなーとか言って過去ばかり見ていましたし
自分を否定されること、自己否定感に陥ることを恐れて完璧主義になる。
その上、やりたいことはたくさん思いつくけど
自分の可能性を信じることができないので中途半端に終わる。
かっこつけて、実際は劣等感の塊でしたね。
いつも不安に襲われ、疲れている状態でした。
そんな自分が大きく変わっていったこと、さらに今どんなことをしているのか書いていきます。
そもそも何で教員がビジネスを学ぶようになったのかなどを含め、まずは自己紹介から。
目次
のすけの理念と情報発信を始めたワケ
私のことを軽く箇条書きで紹介します。
・中学校2年生の時に「制服をズボンにしてほしい」とカミングアウト。
・タイで手術をし、21歳で女から男に戸籍変更する。
・戸籍変更前から男として大学に通う。
・学校の教員向け人権研修にて、学生時に性同一性障害について講演をする。
・建築学科を卒業し、建設会社に就職する。
・アメリカ大使館や米軍基地のプールの責任者を経験する。
・脱サラし、2回目の大学へ、そして中学校の教員を経験する。
・ビジネスを学ぶために、怪しさと怖さでいっぱいだったけど、ありったけの500円玉貯金を握り銀行に駆け込んで情報に投資する。
・非常勤講師と同時にビジネスを展開していく。
・月収300万の起業家に会ってビジネスを学ぶ。なんとなく闇も見る。
・そしたら、ご縁が結ばれて「これが学びたかった!!」と思えるコミュニティに出会う。
・個人コンサル開始、公式メルマガを配信。
・もう一度、学校の教員という立場からできることを挑戦、まだまだこれから。
そもそも、私がなぜ情報発信をしているかというと、
「みんな本当は、好きに挑戦していいし、自分の心が動くことをしていいんだ」
と思ったことから始まります。
こんな話をすると周りは決まって
何言ってんの?みたいに呆れた顔をしますが、私は本気でそう思っていました。
自分の気持ちを無視して何かを諦めた経験は誰だってあると思います。
諦めたとは思っていないことの方が多いかもしれません。
諦める原因は、生活に蔓延している常識です。
でも本当は
そんな常識、多数決によって決められた価値観に過ぎません。
女らしく生きなければいけない。
学校に行かなければいけない。
部活も勉強もすべて頑張らなければいけない。
大人になるためには我慢しなければいけない。
レベルの高い大学へ企業へ就職した方がいい。
上司の言うことが絶対、自分の意見なんて通らない。
辛すぎるけど会社を辞められない。
本当にそうなんだろうか。私は、そうは思いません。
自分がやりたければ、覚悟決めて進めばいい。と思っています。
自分の志とは逆に進んでしまうようなことをやっている時間がある程、人生は長くありません。
人の人生は約30,000日だそうです。
20歳の人は7,300日、25歳の人は9,125日、30歳の人は既に10,950日を過ごしていることになります。
だらだらとテレビやSNSを見ていたらすぐに1日過ぎ去ってしまいます。
「やべ、SNSただぼーっと見てる場合じゃねぇ」ってなります。
このブログのコンセプトは『Simple is Bestで自由に生きる』ことです。
私は、何かに悩んだとき考えることがあります。
それは、「物事を複雑にしているのはいつも自分自身だ」ということ。
余計な感情などを削ぎ落とせば、すべてシンプルなんだと思います。
自分が何がしたいか。その思いだけでいいんじゃないか。
あと何か考えることあります?
できるかできないかなんて考えても無駄だと思ったんです。
そんなことは誰もわからないですからね。
別にそれが、お金持ちになりたい。とか海辺のオシャレな家に住みたい。とかでもいいと思うんですよね。
あとは、そのために何をするかを考えるだけです。
”無理”って誰が決めたんだろうなぁと思います。
知らないものってなんでも怖いです。
でも知ったらなんでもなかったなんてこと沢山あります。
私も自分の性について調べまくりました。
LGBTという言葉がない頃でしたが、
男で生きることなんて全然”無理”じゃなかったですよ。
ビジネスだって興味もなかったですし、
自分がお金を稼ぐなんて、、と思っていましたが
学んで思考して行動していったらできたんですよ。
さらに、学校の先生すらも興味なかったですけど
先生になってみようって思い立って行動したらなれるんですよ。
世の中に溢れているものもほとんどがそうだと思います。
人は何かに挑戦するとき、無理って思いたいですからね。
その方が楽だから。楽だから周りのそういう声に耳を傾けちゃうんです。
そう考えると自ずと、物事を客観的に見れる。
だからいつも余計なものは削ぎ落としてSimple is Bestで考えます。
あとは、『自由に生きる』とは何かってことなんですが、
好きなことだけして自由に生きていこう!という考えとはまた違います。
これはまた記事に書きたいと思います。
このブログでは、
私が自分にの人生をより良く生きるために葛藤する日々や学んで感じたことを書いています。
少しでも皆さんの生きるヒントになればいいなと思うとともに、
折角、ここまできてくれたのだから是非繋がりたいなと思っています。
どんなことでも構いませんので、記事を読んでみて気になった方はコメントやTwitterなどにDMしてくれたら嬉しいです。
是非気になった記事から読んでくださいね!
ここまででも、私の思いは十分伝わるように書いています!
ただ、大まかに私の過去をここで共有しておくと
記事がスムーズに読んでいただけると思うので少しばかり更に書いていこうと思います。
活発な子どもだったけど、一気に自信喪失
小さい時から活発な子どもだったと思います。
好きなことやワクワクすることが好きでした。
小学校でも、男も女も関係ねぇ!みんな友達!
みたいな感じで、グループ分けとかで先生が困っていたらどこのグループに入りまっせ。って感じでした。
それなりにやんちゃもしましたが、ここ超えちゃいかんなと限度を超えない。
昔から掃除とかもピッカピカにするのが好きで、トイレ掃除の手袋みんなでして
「それでは、今日のオペを始めます。」
とか言って真剣にトイレ掃除してましたww
サボるとか考えたことない。別につまらなくないからサボらない。
なんともストレートな子だったんです。
ダメと思ったものはダメ、いいと思ったものはいい!って感じで。
正義感が強い方でした。
盗みやカンニングは許せず、
「それダメじゃね?」って言っちゃう。それで首を締められたことがあります。恐怖。
いじめも許さない。
ただ、1度だけ大切な友達をなぜか受け付けなくなってしまって避けてしまうことがありました。今でもその時の自分を殴ってやりたい。
とまぁこんな風に、
小学校4年生までは思いのままに生きていて、
それが楽しくて、何でも頑張ればできると思ってたんですけど
5、6年生になると成長期に入り、周りも自分の体も変化していくその変化に対応できなくなりました。
自分が気持ち悪く恥ずかしく、
一気に自信を失っていきました。
空気読んで、本当の自分はさようなら
中学校になると「こうして欲しいんだろうな」ともっと空気を読んで行動するようになりました。
こうなるともう止まりません。
気づいたやつが行動すれば場が収まるんだと自分を犠牲にするような考え方になりました。
しかも、性についても苦しい思いをした中学校。
小学校と違い中学校は、あらゆる物が私を否定してくるように感じていました。
制服のスカート、体育、何かにつけて男女分け、周りの偏見、、
かなり敏感になっていたのは確かですが、
毎日女である自分を忘れさせてくれない学校は私にとってただの敵でした。
唯一部活でバスケをしているときは、忘れることができたんですけどね!
そんな状況も差別も、他の子は何も思わない、
「おかしい、悔しい」と思っているのは俺だけだから我慢しなきゃいけないと我慢することが当たり前になりました。
どうしたって自分は変えられなかったんで、
今我慢すればその先に幸せが待ってるんだと自分に言い聞かせました。
そう思わないとやっていけず、かなり辛かったです。
ずっと「自分は何のために生まれてきたのか」を探しました。
こんなに辛いんじゃ意味がないとやってらんねーー!って思ってました。
それでも、
自分が何であるかにたどり着き、整理がついた頃、
「俺は誰かのために生きるってことと、死んだ時に『この俺で良かった』と言って死ぬんだ」
と決めて、前進しました。
性同一性障害なんて言葉がやっと周知された時代です。
書籍やネットで勉強し、友達と繋がったりして情報を集めました。
高校、大学。中身を完璧にしているようで、完璧な盾を作っていただけ
自分に自信があるように見せて、
本当は自分を否定されることが一番嫌いでした。
いつでも言い返せる自分、納得いく行動をしている自分を心がけていました。
その時よく言っていたのは「自分に非を作らない」でした。
一貫していると言えば聞こえはいいですが、
私は完璧でもない自分を完璧にしようとしていました。
どんどん完璧主義になり、
失敗しそうなことには挑戦しなくなりました。
完璧にしたいあまり「どうせ自分はこのくらいだ」と色々なことに失敗しないように限界を決めていました。勉強も部活も。
大学の授業だってそうでした。
最初は楽しいだけでやっていることが、だんだんと周りも熱を発してきて、その周りのやる気に負けるんです。
「言うても俺はそんなに熱を持てないし、対抗しないでくれ」
と思ってしまうんですよね。
好きでやっていたはずなのに、評価されていくに連れ、完璧でいなければと思う自分が周りを気にし始めてしまう。
私は自分を完璧にしているようで、
ただ自分を守るための完璧な盾を作っていただけでした。
中身スッカスカやん。笑
それに気づけたから今は成長が楽しくてしょうがないんです。
ですが、まだこの時の自分は気づいていません。
超マジメ就活生、社会人
就職氷河期に就活することになった私は、超絶真面目に就活をしました。
就活のための大学の講座を真面目に受け、
名刺まで自分で作って、企業の人事の方に直接渡しに行きました。
いい行動力ではあるんですが、目的がなんなのかわかっていませんでした。
でも、その中にいながらも
「就活ってなんなんだろうな、異色だなぁ」
となんだか気持ち悪さ?を感じていました。
皆同じ方向を向いて、
ペコペコして、嘘をついて、
人を蹴落として、
時には圧迫面接をされ。
就活の目的は、どちらかというと「やりたいことをすること」ではなく、
「就職すること」だったように思います。
正直、一生務めるだろうと思って入社したサラリーマン生活は淡々としていました。
そこで私は思いました。
普通に大学に行き、
それなりに一生懸命勉強して、
就職氷河期と言われる時代に右ならえのように就職活動をし、就職して、
3年経ったら辞めるという目標を掲げる先輩社員を見て、
やっていることはつまらなくないけど、やりがいがあるわけでもない業務をしながら
このままずっとこれでいいのか?
このまま死んでいいのか?
って本気で考えました。
でも、よーーく考えたら
「この選択をしなきゃいけません」って誰が言ったんだ?
就職するのを選んだのも自分。
だったら辞めるのを選ぶのも自分じゃん。
中学の病み期で、こんな身体ならこんな辛いなら死んでしまおうかと考えたことがあります。
そう考えると、
一回死んだかもしれない人生、謳歌しないでどうすんだ。
なんか、レールに乗って動かさていたようにも思うけど、
その洗脳にコントロールされてたのは自分じゃない?
ていうか、そもそもレールなんて幻想で
本当は何を選択したって死にはしない。
素直に心が動くことをするべきだ。後悔するぞ。
って思ったんです。
本当はどんな選択をしてもいいはずなのに自分で決めているようでそれは、
もはや周りの常識の範囲内でしか決めていないような。
知らないうちにこう進んでいるのだからこの道に進むことが当たり前だとか
周りの常識に囚われて決める必要はないと感じたんです。
そんなことを思う手がかりになったのは、
SHINeeっていう韓国のアーティストのライブに行ったこと。
同じ人間なはずなのに、ステージに立つ輝きが凄かった。
なぜだか涙がでる。。
なんだか伝わらないかもしれないけれど、人の心を動かすことができるって凄い。
K -POP好きはわかると思いますが、徹底ぶりが半端ない。
どれだけ練習して、どのくらい色んなことを捨ててそこに立っているんだろうかと思う。
何かを得るためには必ず何かを捨てなければいけない。
これもタイミング、SHINeeの影響は大きかったです。
ということで、私は脱サラしたんですけど、
多くの人が普通に学校行ってから就職して、生活のために働いているんだと思うんですが
何かに挑戦したければ
覚悟決めてやってみたらいいと私は思います。
今までやっていたことに囚われる必要もないと思います。
例えば、建築学科に行っていたから建設業で働かなきゃいけない
とか本来はないです。
そうやって考えていくと、結局自分の気持ちはいつの間にか消えていきます。
それでいいなら、いいんですけど私は嫌だなって。
生活のために
仕事がないのに定時になるのをただただ待つのも
職場の常識に塗れて、なんの疑問も持たずにしなくてもいい残業するのも
私は嫌で、
それなら自分が成長するしかないだろ。
って気持ちになったんです。
そうそう、やりたいなら自分が覚悟を決めて、それが叶うくらいの自分に成長する必要がある。
折角生きているんだから、この与えられた時間を無駄にしたくない。
時間は有限であるということが
本当の意味で理解できたらそんなことできない。
本当は何をやってもいいんだ、と本気で思ってます。
第二の大学、そして学校の先生
たった一度の人生、心が動くことをしようと考えていた時に
頭に浮かんだのが「学校」という文字でした。
自分の性について悩んだ学生時代、何で学校は俺を否定してくるんだと思っていました。
何で我慢しなければいけないのだろう、とずっと歯を食いしばってた時もありました。
微力でも、この経験が誰かの助けになれるんじゃないか?と考えて
教員免許を取得するために、通信大学で学ぶことを決意しました。
前述していますが、私は学校が好きな子では決してありませんでした。
私が教員になるのは、「先生に憧れているから」でも「公務員だから」でもありません。
私の根本の目的である「本当は何に挑戦しても問題ないぞ」ということを伝えるための”手段”でしかありませんでした。
教員生活はというと、結論から言います。
子どもたちはめちゃくちゃかわいかったです。
でも、今の自分じゃ全然力が足りないと思ったんです。
こんなグズグズしていたら人生終わっちまう。。
学校の先生たちは、ほとんどが本当に子どものことを考え
自分のことなど二の次、三の次の人が多いです。
教員の鏡だと思いました。
でも、考え方に偏りがあるんですよね。
「学校」という変な場所に染まっているようにも思いました。
「学校」の常識があるんです。とにかく古い考え方。
その時は、
ここにいては、言いたいことも言えなくなる環境。
まずは、私が力をつけて、自由にならなければ人には伝えられない!
と思って、学校という世界から退くことを決めました。
自由に生きることをストップさせるような学校教育や周りの常識は
本当に変わってほしいなと思いました。
今までの価値観がひっくり返る
教員を目指しているとき、
数学の勉強をしていて、あるYouTube動画にたどり着きました。
たった3ヶ月で慶應大学に合格し、勉強方法やビジネスのことを発信している、当時月収300万の起業家の方でした。(今は億稼いでいるらしい)
何それ怪しいなぁ。
ビジネスのことには全く興味がなかったですが、
内容はめちゃくちゃ合点がいく。
人間の本質や世の中の常識と言われる考え方など
自分が疑問視してきたことにも通じて、学びになりました。
へぇ、こんな人もいるんだなって思いながら、
いろんなことを学び、それはなんでも生かせることを知りました。
今まで、自分が常識だと思っていたものって本当にそうなんだろうか。
それが本当に正しいのだろうか。正しさとは・・?
なんとなく、正解が1つだと思っていた価値観。
お金稼ぎは悪だと思っていた価値観。
結局、私だって偏った知識しか学ばなかったし信じていなかったんですよね。
今までの常識だと思っていたものがひっくり返される経験をしました。
頭は柔らかい方だと思っていましたが、ガチガチに凝り固まっていた自分に気づきました。
そこからは、失敗してもいいから自分の知識外のことを、もっともっと知りたくなりました。
教員になることが目標なのではなく、人生がより良く生きたいって思いでした。
そのためには、ビジネスだろうがなんだろうが学びました。
今では懐かしいですが、500円玉貯金の瓶を片手に、営業時間ギリギリになって
教材の振込みをしたことを覚えています。
正直、ここで何にも学べなくても(そんなことはないのですが)
自分にとっては大きなお金を自分で払って学ぶ。その経験はしてみないとわかりません。
自分でお金を稼ぐ。情報に100万円以上投資したストーリー。
教員を経験するとわかることもあり、
やっぱり自分に力を付けないと何も伝えられないと強く感じていき、
あかん、成長してない。先生辞めてもっと勉強する。
意外にもあっさり。
私の中では目的は『学校の先生になること』ではなかったために”手段”を変えたに過ぎなかったんです。
それでも、子どもたちが大好きだったんで、別れは悲しかったです。
その頃、目に入ったTwitterの起業家の方。
ん?女子校に通っていた男子高校生?面白いなぁ。
以前価値崩壊したときと同じような感覚。
ブックマークと。笑
こういうときって何かが巡り合わせのように来るものなんですね。
そして、強制的なビジネスの勧誘に合う。
こんなものが横行しているのか。。。
この頃には何度も何度も教材を反復したりしていたために、
ビジネスがどういうものかは全体的に少しわかっていました。
だからこそ、この勧誘の話がめちゃくちゃだってことはすぐに気づきました。
長ーい長い電話、切らせてくれない。
無性に腹が立ち、俺の時間返せ、こんちくしょう。となりながらも電話を切れない弱い自分。
でもですね、、ここで悔しくなったんです。
行動していない自分に気付いてしまったんですよね。
これは違うって思っているのに、何もできていない自分。
意気込みだけの奴が偉そうに、、何も言い返せなくない?
そんな自分に恐怖したんですよね。
もう自分だけじゃ限界がある、そして今咄嗟に思い浮かんでいる人がいる。
メルマガに登録していた先程の起業家の方に即行で返信。
もちろん、自己紹介も兼ねて、
「単刀直入に、〇〇さんにお会いしてみたいです。」
まさか会えるとは思っていなかったですけど、一か八かで。
でも、まさかまさかで会えたんです。
ここから、しっかりと話を聞いてお金払って学びました。
そりゃ、多少怖かった。
でも、行動しないと。何にも変わらないなって。
でも、あとは行動したほうが面白いなって。笑
何かで迷った時に、どっちを選択した方が面白いか。どっちが以前の自分が選択肢しない方か。
が自分を成長させると思っているから。
実際、誰も教えてくれないことを学び、自分でお金を稼ぐ経験をし、
更に新しい繋がりもできたことで、お金じゃ変えられないことを得たのですが、
多くの人はそんなの怖いと思いますよね。
怪しいし、大きなお金ですし。
でも考えると、大学には4年間で約600万円の学費がかかり、
その大金を払って、当たり前のように授業をサボり遊んでいる人もいます。
その額を奨学金という借金で、払い続けているんです。
その大金をかけて、何を学んだのだろうっていう人も少なくないはず。
大学や塾の大金は払うのに、他の情報にお金を掛けないのはなぜだろう。
コロナ、大きな時代の変化、Simple is Bestで自由に生きる
自分でお金を稼ぎ、これからかというときにコロナが蔓延します。
時代も希薄な関係はどんどん崩れ、人と人との本当の距離が試されていきました。
私も教育委員会から就職の電話が来たり、
ビジネスで学んでいたコミュニティーがバラバラになったり、
当時同棲していた彼女と別れたりと
本当に変化変化の毎日でした。
コロナ前とは、必然的に考え方も違うようになった。
その頃、同時期くらいに
「これ、俺がずっと探してたものだ」
と思えるコミュニティーを紹介してもらいます。
元々ビジネスの先生から少し教わっていた考え方ではあったものの、
コロナになってからより大切と感じるようになりました。
「人生をより良く生きる」
そのことにフォーカスし、働く。
働くとは何なのか。
働くとは「側(はた)を楽にすること」。
目の前の人、近くの人たちを大切にし、助け合って生きているかな?
そう考えた時に、もう一度目の前の学校に目を向け、自分の今できることをやっていこうと思いました。
もちろん、ここで終わりではなく、
「Simple is Bestで自由に生きる」
とは、私の中でももっと深い意味になっていきました。
自由とは自分だけを考えて、やりたいことだけするという自由とは違う。
もう一度言うと、
私はこの世の中の常識や凝り固まった価値観が皆さんを苦しめているのならば
それは違うだろ、と思うんです。
だからこそ、どう考えて生きていって行けばいいのか、それを伝える人でありたいなと思います。
どんな立場であろうとそれは変わらない目的になります。
本当は何でも挑戦していいし、死ぬわけではないのに
身動き取れなくなって、生きづらくなってしまう考え方を少しでも変えたいです。
Simple is bestです。
ほとんどの人は、より良く生きたいと思っています。
心のどこかで、思っていることがあっても見ぬふりをしてきた自分がいたり、諦めた自分がいたり。
そんなの無理だ、現実的じゃないと思うから、その思いに正直に生きることを否定したくなる。
でも、その「〜したい」という感情がすべてだと思います。
「でもなぁ〜」とかいう感情はもう無視しましょ。
無理かどうかなんて誰にもわからないです。
なのに、「そんなの無理だ」という言葉を鵜呑みにしないでください。
じゃぁその人はやってみて言ってるんですか?違いますよね。
誰も答えを知らないんです。知らないものは怖いので否定したいんです。
情報を得ると、無理だと思っていたことが現実に見えてきます。
仕組みが見えてくるんです。
あぁなるほど、そりゃそうなるな、と思えるようになります。
何となく1日が終わり、あーまた明日が来るのかと思って1週間、1ヶ月、1年・・と時はすぎていきます。
今日の自分と1年前の自分はどんな違いがありますか?
もし、ハッとする思いがあるならば、
誰かの描く自分の時間を過ごさず、自分が描く自分の時間を過ごしましょう。
自分次第で、1日は変わり、1年後の自分が変わっていく。
トランスジェンダーに生まれて
トランスジェンダー(≒性同一性障害)に生まれてどう生きてきたかは以下の記事です。