こんにちは、のすけです。
先日、尊敬している先生お二方と
オンライン飲み会をしようということになりまして
早速飲み会をしてきました。
私が性同一性障害(女から男に戸籍変更をしています)であることは
このお二人には言っていませんでした。
というより1人くらいしか学校現場では知らないんです。
でも、このお二人にカミングアウトする機会が欲しかったのもあり
言えるじゃん!と思いながら参加しました。
流石、尊敬する先生の反応は違いました。
カミングアウトは、自分の都合でするものではなく
誰かを思ってカミングアウトすることで、反応が全く違うものになるんだと思います。
以前の考え方が更新された感覚になりました。
さて、私はオンライン飲み会は2回目で
1回目は大学の仲間とでしたが
今回の教員同士の飲み会はオンラインとは思えないほどの濃さでした。
気づいたら深夜2時を回っていて
お互いに
「え!もうこんな時間!?」
と思うような時間となりました。
議題は『承認欲求について』。
私はこういう感じで語り合う飲み会は大好きなんですよね。
このお二人は、以前同じ学年集団でお仕事させてもらって
本当に「子どもたちのために」を第一に考えて行動している先生でした。
同じ学年でお仕事した時がどれだけ学年の先生に恵まれていたのかを痛感しています。
私の性のことは、言わずとも勤めることはできるので
最初は誰にもカミングアウト(自分のことを打ち明けること)せずに勤めていました。
敢えて、言っていないだけで
言う必要のあるタイミングがあれば言いたいなぁと思っていたのですが
中々タイミングを設けられずにいました。
もっともっと教育について深い話がしたいと思いましたし、
この先生方なら自分のことをプラスに変えて
子どもたちのために反映してれるに違いないと思ってました。
反応は
「もっと早く言ってくれたらよかったのに!!」
「色々聞いていい?」
と話は盛り上がっていきました。
先生の方も色々と話してくださり
絆が深まった感覚になりました。
後日、その一人の先生からお手紙とプレゼントを頂きました。
「かわいいのがあったから買ってきちゃったんです、
よかったら使って下さい。」
お手紙も添えられていて、
その内容に私は感動しました。
「お礼がしたかったんです。
信頼して言ってくださったことによって
私はまた一つ強くなることができました。」
正直私は
お礼!!??
って感じで
そんなそんなって思いでした。
自分が勝手にカミングアウトしただけなのに、
「強くなれた」と言ってもらえるなんて、、、
そもそもカミングアウトされる側の器が広いことは
言うまでもないのですが
その先生は、受け取ったものが感謝に変わっていたんです。
流石だな、と思わずにいられませんでした。
そこで思ったのが、
何かを伝える時に
「自分のことを認めて欲しい」というような
自分の欲求のために伝えると、
その雰囲気が伝わって、
なんか嫌だな、
なんか気持ち悪いな、
というような感情になります。
そういえば、今回の私は、
これを子どもたちのために。
この先生方なら絶対プラスにしてくれる!
という思いでカミングアウトしました。
自分のことを理解して欲しいなんて気持ち、
これっぽっちもありませんでした。
理解してくれることなんて
必ずと言っていいほど確実な方々だったからです。
恋愛の告白もそうですが、
自分視点の考え方で告白すると
なんか気持ち悪いというような感情になります。
相手の気持ちを考えず、
欲しいがためにする告白ですね。
逆に、暖かい気持ちで落ち着いた雰囲気、
そして相手の気持ちを考え
しっかり準備が整っている段階での告白は
なんか嬉しいな、というような感情になります。
準備が整っているというのは、
相手を信頼しているかどうかということも言えます。
告白が実らなかったとき、
前者の場合は
「なんでだよ」
というような怒りや恨みのような感情になります。
しかし、後者は
この経験をありがとう、と感謝に変えることができます。
カミングアウトってそれと一緒だよなと思ったんです。
伝えるときには
誰かのことを思って伝えると、
それが自然と伝わり、感謝さえ起こり得る。
私はこの30年間のなかでたくさんのカミングアウトをしてきました。
友達に、
好きな子に、
クラスメイトに、
全学年に、
チームメイトに、
仕事場に。
そういえば、早い段階から抵抗もなくカミングアウトができた私ですが
最近は、説明が必要な場合や
言わなければいけばなくなった状況の時のみ
カミングアウトをしていましたが、
そういったときは、
相手の方も端的で、
そうなんですね。
というような感じです。
というよりも、少し気を使わせるような雰囲気もあるくらいでした。
いいのいいの、そういうのは、、
と私もそんなときは、サラッと流して欲しくなります。笑
カミングアウトというのは、
どこか自分本位のものであると思っていたんです。
相手は別にそれがなくても生きていけますし、
その話をしたことによって重荷にもなってしまう可能性もある。
結局、自分のパーソナルな部分を話すことって
基本的に自分本位。
だからこそ、はいサラッといきましょうって感じでいました。
なんとなく、だからこそ押し付けるようなカミングアウトには
してはいけないなとは思っていたのですが
少し落とし込めていなかったように思います。
自分本位になるかどうかは、
それを伝えるときに誰かを思っているかどうかなんだと
言語化できるようになりました。
すごくシンプルだけど、
つまりそういうことなんだと。
今回は幸せなことに、
誰かのためになることができて
手紙を読んで泣きそうになりました。
こんな気持ち、私の方が感謝ですよね。
そもそも、
このオンライン飲み会の議題『承認欲求について』だったんですが
つまり、自分本位の考え方です。
今回のメインの話題は
教員の承認欲求が強いって話だったんです。
現場にいると、
本当に感じるんです。
子どもたちの承認欲求ではなく、
教員の承認欲求を満たさなくてはいけないの?
ってことがたくさん。
部活動とかもそうですね。
強い部活にしたい。
それって、確かに子どもが達成感や自分を見つめる時間になります。
でも、強くすることによって、
「俺の部活はどの学校でも強くなる」
というような
自分がすごいことを認めて欲しいがために
頑張っている先生がいたりします。
教員の方がこれを読んで頂けていたら
あるあるだと思うんです。
俺は部活をやるために学校の先生になったんだって方に多いですね。
勿論、一概に言えないですが。
「俺、私すごいでしょ」
という気持ちが見える人の多さには、唖然とします。
教員本人は、そのことには気づいていない。
『先生』と言われる職業は、プライドが高く
マウントを取りやすい傾向にあると思います。
ちなみに、
人間の人生のステージは4段階に分けられます。
使命
貢献
ーーーーーーーー
自己実現
欲望
上に行くほどステージが上がっていくのですが
承認欲求が無意識に勝ってしまう状態は『欲望』段階です。
ここで、自己実現と貢献の境目には大きな違いがあります。
それは、「自分視点」か「他者視点」かということです。
使命
貢献
↑他者視点(誰かのために)
ーーーーーーーー
↓自分視点(自分のために)
自己実現
欲望
ほとんど人は無意識に
自分視点の考え方になります。
ここで、よくあるのは
欲望段階にいても、本人は自分の人生を俯瞰して見れずに
「自分は子どもたちのために働いているんだ」
と思っているとことです。
サラリーマンで忙しいお父さんも
「俺は家族のために一生懸命働いているんだ」
と言って、
家族にはそんな風に伝わってないということがよくあるのと似ています。
誰にでも欲望はあります。
消えるわけではないんです。
自分自身で、意識で欲望に気づくことが第一です。
この教員も気付いていないんです。
私もこの考え方を学ぶ前はごちゃごちゃになってました。
もうほとんどのことがこの考え方で解決するよなと思うのです。
今回のカミングアウトもそうですし、
教員の承認欲求もそうです。
ちゃんとステージを上げる学びをしていれば
視点は上がっていくはずなんです。
私は、ビジネスの先生であるえーきさんのコミュニティーに参加していますが
そこにいる人たちは「他者視点」の人ばかりです。
積極的にみんなに絡みに行ったり、
発言をしたり、
盛り上げ上手だったり、
みんなのために、誰かのためにを大事にしている気持ちのいい方ばかりです。
人生の出来事を感謝に変えることができる人は本当に強いです。
今回の尊敬する先生も本当に心の強い方です。
私はこれからも、
ステージが上がっていく人を増やして
みんなが自分の人生を歩んでいって欲しいと思っています。
ステージの話やコミュニティーの話などはメルマガで詳しく話していますので
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こういうプラスの力が
どんどん広がっていったら日本てもっと変わっていくよなと思います。
悲しいニュースが続いている今だからこそ
立ち上がり、行動していきましょう。
それでは!